大分長くなった髪が時間の経過を感じさせる。
 双子の姉と区別をつけるためにあえてそれまで短くしていた髪。それを伸ばし始めたのは、彼のためであり、そしてそれは同時に「藤林杏」に少しでも近づくため。
 彼が、髪は長い方が好きって言ったから。彼の気持ちが、私ではなく姉の方にあることを知っていたから。
 だから、髪を伸ばした。姉に近づこうとした。
 12月。彼と付き合い出してからもう8ヶ月。でも。
 ――未だ私は、「藤林杏」になれてはいない。






 今にも雨か、もしくは雪でも降り出しそうな、暗い空。
 そのまま見上げているだけでも鬱になりそうだったので、私はすぐに視線を下ろす。目に映る街並みは、クリスマス直前ということだけあって普段よりも随分と華やかで、私の気持ちを少しだけ上向けてくれた。
 かなり厚着をしているから寒さ自体はそんなに感じない。だけど、手袋をしているとはいってもどうしても手だけは冷えるから。私は手袋の上から息を吐きかけながら、人を待っている。
 今日は、朋也くんとのデート。
 看護学校進学を志望する私に、デートを控えようと言ったのは朋也くん。勉強が忙しいだろうから、って。
 私としては、確かに勉強もがんばるつもりだったけれど、それでも彼とは普段通りに会ったりどこかに行ったりしたかった。それこそ、毎日でも。
 でも彼の言うことも正論だし、何より私のために言ってくれたことだから。
 だから今日のデートは、久しぶり。いつもの待ち合わせの場所。自然と腕にはめた時計に目がいく。
 さっき見た時と比べてほとんど動いた様子のない針を見ながら、今朝自分でやった占いを思い浮かべてみる。
 まるで遠足に行く小学生のように早起きして今日二人で食べるお弁当を用意した私は、昨日の内から準備していたお気に入りの服に身を包んで、待ち合わせの時間が来るのを今か今かと待ち侘びていた。胸元の、彼から買ってもらったタンザナイトのペンダントを時折片手で触りながら。
 デートを控えていた間中、拭いきれない不安感が私の胸の中にはあった。それは以前からずっと抱いていたもの。
 だからだろう。久しぶりのデートを前に、私と彼について占ってみたくなったのは。
 本来、自分自身を占うことは良くないとされている。でも、その好奇心とも疑心ともつかない感情を押さえきることができなかった私は、少し考えて、朋也くんを占うことで間接的に二人の関係を占ってみることにした。
 『すれ違いや焦りを乗り越えてうまくいく』
 その結果は、私を満足させるのに十分だった。



「ごめんな、待ったか?」

 朋也くんが待ち合わせの場所に来たのは、約束の時間の5分前。
 まだ時間になっていないのだから、謝る必要なんて全くない。でも、こうしたちょっとしたところに彼の優しさを感じる。

「いえ、私も今来たばかりですから」

 もちろん、私は随分前から既にここに来ていたのだけど、気にせずいつものやりとりを交わす。
 ただそれだけで、胸が高鳴るのを感じた。それもまたいつものことだけど、だからこそ、やっぱり私は彼のことが本当に好きなんだって改めて自覚してみたり。

「とりあえず、歩きましょう」

 そう言いながらいつものように朋也くんの腕を取って、歩き出す。最初の頃は手を繋ぐことすらできなかった私だが、今ではこうして自然に腕を絡めることもできるようになった。
 目的地なんかない。ウインドウショッピングなんて言えば聞こえはいいけれど、でも、例えばこの場にそういったお店が一つもなかったとしても、きっと私は今の時間を楽しむことができると思う。彼と二人でいる、たったそれだけのことで私は幸せな気持ちになれるから。
 そうだ。不安なんて、感じる必要はない。彼は確かに今こうして、私の横にいる。大丈夫。絶対に、大丈夫。



「そろそろお昼にしませんか。お弁当、作ってきました」

 楽しい時間は、過ぎるのが本当に早くて。気がつくと、いつの間にか時計の短針は12を回っていた。
 毎日学校でも二人で私の用意したお弁当を食べているけれど、やっぱりこういう時に食べるそれは、またちょっと特別で。久しぶりのデートということもあって、今日のお弁当にはいつにも増して手がかかっている。

「ごめんな。……でも、椋、どこで食べるよ」
「いつもの野原じゃダメですか」
「いや、寒いだろ、さすがに」
「大丈夫です。シートに、それにあったかいお茶も持ってきました」
「いや、それでも」
「大丈夫です」
「いや」
「大丈夫です」
「……」
「大丈夫です」

 こういう時の、彼の扱い方(こう言ったら悪い気もするけれど)ももう慣れたもので、強気に出て、反論させなければいい。普段姉がやっているように。
 いつもデートの昼食時に使っている野原は、普段ならちらほらと人の姿が見えるのだが、今日は誰一人としてその姿は認められなかった。季節が季節なだけに、当たり前だと思う。
 でも、それも予想がついていたこと。だからこそ、そこに行こうと言っているのだし、厚着もしてきた。
 二人きりに、なりたかったから。
 寒くなってきてからは、学校でのお弁当も教室で食べるようになった。最初はクラスのみんなに囃し立てられたけど、今ではそれが当たり前のことになって、誰も何も言わない。でも、さすがに、みんながすぐそばにいる状況では「恋人っぽい」会話なんてできないし、極端な例を挙げるなら、食べさせてあげたりなんてこともできるはずがない。
 だから、今日ぐらいは二人きりでお弁当を食べたい、そう思っても、それは許されることだと思った。


「なあ、椋、寒いんだけど」
「くっつけば、暖かいです」

 幸い、風は大して吹いてはいないが、それでもやはりかなり寒いのは確かだった。私は最初からこのつもりでかなりの厚着をしてきたから大丈夫だけれど、そうでない朋也くんには辛いだろう。
 だから私は、朋也くんのそばに移動して、体を密着させた。そうすれば多少なりとも寒さを凌げるし、何より体温を感じられて嬉しいから。
 何も言わない彼に、私はさらに体を密着させた。体温を、感じたかった。どうしても拭いきれない不安を、消し去りたかった。



 久々に二人きりでお弁当を食べながら、私は昔のことを思い出していた。
 朋也くんと付き合いだしたころのこと。あのころ、学校で彼と一緒に食べるお弁当は姉が作ったものだった。
 それを食べて「うまい」って言う朋也くんを見て、私も姉に教わりながら一生懸命料理を練習した。目指すのは姉の作ったお弁当。彼においしいって言ってもらえるように。
 今では、姉の手を借りずとも自分でもまずまずだと思えるものが作れるようになった。姉特製のカツも、既に自分のものにした。彼も「うまい」って言ってくれる。

 自分は変わった、そう思う。
 周りからよく言われるように、そのことは自分でも分かっていた。
 だって、そうしようって決めたから。朋也くんの好きな女の子に、「藤林杏」に少しでも近づこうって。
 彼女程ではないにしても、料理も上手くなった。性格も明るく積極的になった。髪も、長くなってきた。朋也くんに好きになってもらえるように、精一杯がんばってきた。
 だから、大丈夫。不安になることない。そう自分に言い聞かせて。

「どうですか」
「ん、うまいよ」
「これ、最初うまくいかなくて、つい醤油を入れ過ぎちゃって、三回も作り直したんですよ」
「そっか」
「あの、お茶、いりますか」
「ああ、頼む」
「あ、温くなっちゃってませんでしたか」
「大丈夫」
「あ、それと……」
「……」

 でも。
 どうしてだろう。話しかければ話しかけるほどに、そばに行けばそばに行くほどに、彼を遠くに感じる。
 恐くて。そんなことない、そう彼に言ってほしくて。

「あ、あのっ」
「……」
「あの……」
「……」
「キス……しませんか」

 彼の服、その胸元を握って、少しだけ引く。
 彼の身体を、引き寄せる。

「……朋也くん……」

 目を瞑る。心臓がドキドキいってるのが分かる。期待と、そしてそれ以上の不安。
 思い出す。いつかもこれと同じことがあった。そう、あれは朋也くんと一度別れそうになったときのこと。

  ――……頑張ります……
  ――髪も伸ばします
  ――料理とかもたくさん勉強します
  ――足りない部分があれば教えて下さい
  ――私……頑張りますから……
  ――朋也くんが望む女の子に……なりますから……
  ――……私、お姉ちゃんの代わりになりますからっ……

 肩に、手が置かれる。
 でも。
 なかなか次は来なくて。




「ぷひ〜」




 突然の声に目を開ける。視界の隅には、鳴き声の主であるボタンと、そして。

「杏っ」

 肩に置かれた手が、離れていく。
 彼の体温が、感じられなくなっていく。
 嫌だ。恐い。行かないで。行かないでっ。
 咄嗟に、彼の手を掴む。絶対に離したくなかった。

「いやっ。朋也くん、お願い、行かないで」
「……っ」

 彼の手を掴んだ指が、解かれる。
 私を正面から見据えて、彼は。

「ごめん、椋。俺、俺っ」
「いや、聞きたくないっ」
「俺、杏を、ほっとけない。あいつが……好きなんだ」
「朋也くん……とも…や…くん……」


 分かっていた。ずっと前から。
 いつか、こうなることぐらい。
 分かっていた。ずっと前から。
 私の占いが、当たらないことぐらい。


 「藤林杏」を追って、走っていく。
 もう、いくら伸ばしても、私の手は、届かない。






「いってきますっ」

 何かある時にしか着ることのないお気に入りの服。加えて、いつの間に買っていたのか、いつか朋也くんと一緒に三人で見たアメジストのペンダント。
 明らかにデートと分かる出で立ちで朝からそわそわと時計ばかり気にしていた姉が、それでも恐らくは待ち合わせの時間よりはずいぶん早く、家を出て行った。
 そんな姉の様子に、私は苦笑を隠しきれない。だってそれはまさしくついこの間までの私の姿だったから。
 あの後、私のところに謝罪しに来た朋也くんに、私は謝罪させずにただ「ありがとう」と伝えた。謝られたら、それまでのことが全て嘘みたいに思えてしまいそうだったから。
 あれから、とはいっても年が明けてからになるが、朋也くんと姉は付き合いだしたようだ。去年の内にそうしなかったのは、きっと私に気を使った結果なのだろう。
 これで良かったんだ、そう思う。ちょっとの後悔を他の誰でもない自分に隠しながら、そう思うことができる。
 ただ一つ心配なのは、姉が私に接し辛そうにしていること。当たり前といえば当たり前なのだろう。妹の彼を奪う形になったんだから。
 でも、それもきっと大丈夫。時間が経てばきっと元通りになるし、それに。
 多分、それどころじゃなくなるから。




 今日、私は髪を切りに行く。
 失恋した女の子が髪を切る、なんてのはよく聞く話だけれど、まさか自分がそうするとは思ってもみなかった。
 それは、一つのけじめ。恋の終わりを自分の中に刻み込む、一つの勲章。  でも、私の場合それだけじゃなくて。確かにけじめには違いないのだけれど、それはもっと積極的な意味の。

 あれからずっと考えていた。たくさん、たくさん、考えた。
 私の失敗。それはきっと「杏」になろうとしたこと。
 いくら姉に焦がれても、いくら近づこうとしても、それは所詮コピーに過ぎないから。本物の「杏」には勝てなかった。考えてみれば当たり前のこと。「椋」を好きになってほしい私は、誰よりもまず「椋」であるべきだった。
 そして。
 分かったことが、もう一つ。
 どうしても曲げられない気持ち。
 私は、藤林椋は、岡崎朋也のことが大好きだということ。
 そんなに簡単になんて諦めてやらない。そう決めた。

 最初から、私に不利な勝負だった。ライバルはあの「藤林杏」で、しかも彼は多少なりとも彼女に惹かれていたのだから。
 でも、今では私にも姉に対して少しだけアドバンテージがある。
 だって。
 彼がデートの時に行きそうな所なんて、私には手に取るように分かるから。

 だから。だから私は。


「いってきまーす」


 髪を切ったら、彼に会いに行こう。
 そして、他の誰でもない「藤林椋」の恋物語を。
 もう一度、そこから。

 始めるんだっ。










 第二期第七回クラナドSS祭り お題『始まり』 出展。
 祭りにおいて黒キャラが半ば定着した報われない少女、椋を救ってあげよう、と思い立って書き始めた作品。中盤急ぎすぎたのが反省点。
 感想会でも出たように、本編(杏ルート)よりも長く朋也と付き合ったことで、その分だけ心が強くなった椋。そんな可能性も、きっとあると思います。
 なかなかに好評だったようで、恐れ多くも4人の方に投票を頂きました。わーい。
 「最愛の」でもそうでしたが、やはり僕は杏と椋が対等に争う、というのが好きなようです。最終的にどうなるかは知ったこっちゃありません(ぉ
 タイトル「生やし髪」 「生やす」はもちろんそのまま髪を伸ばすという意と、加えて、「切る」の忌み語としての意を含ませているつもりがあったりなかったり。


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