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「ね、手、絶対離さないでよ? こんな中はぐれたら、もうどうしようもないわ」
「ああ、分かってるって。いくら何でもこんだけの中からお前一人を探す自信はねぇよ」
「あんたそこは『例え離れ離れになったとしても絶対に君を見つけ出すから』とか言いなさいよ、やっぱり」
「いや、無理だから。お前も『どうしようもない』って言ったじゃねぇか」
「男の言い訳は見苦しいわよ?」
「お前無茶苦茶な」
「冗談よ。……そうね、もしも見失ったら――」






    『一年越しのロマンチック』






 大分長くなった髪に雪が降りてくる。素手でそれを払うのは冷たいから、とりあえずはそのまま。
 ぶらぶら、ぶらぶらと街を歩いている。
 目的なんか無い。ただ、こんな日に独りで家になんかいたくないだけ。
 今日は、クリスマスイブ。普段これだけの数がどこに隠れているのか疑問を抱かずにはいられない程に溢れる、人、人、人。
 家で大人しくしてなさいよなんて思ってもみるが、元よりそんなことを言える立場ではなかったことに気づく。意味もなく街をぶらつくあたしも、間違いなく、この混雑を作り上げる要因の一つなのだから。
 よりにもよって今日のこの日が日曜だなんて、もしも神様なんてのが本当にいるとしたら、きっとそいつはひどいサディストに違いない。おおよそ7年に2度サディスティックな気分になるのだ。

 本来なら、幼稚園のクリスマス会が今日この日に行われるはずだった。そしてあたしは実習生として、希望してこの日に参加するのだ。
 日中は子供たちの騒ぎに飲み込まれ、夕方、保護者とともに軽い足取りで帰途に着く彼らを見送ってからその片付けに勤しむ。
 お世辞にも上手だとは言えない、子供たちが作った折り紙の飾りを一つずつ丁寧に外しながら、先生たちと今日のことを微笑み合う。誰がこんなことを話していた、とか。誰がこんな失敗をしていた、とか。誰がこっそりと誰にプレゼントを渡していた、とか。そういえば誰先生は今日デートなんでしょ、なんて先生同士でからかい合ってるのを聞いてみたり。
 全てが終わって帰る頃には、大分遅い時間になっていて。家に帰ってお風呂に入った後、晩御飯を作って、食べて。テレビのクリスマス特番なんてのを見ているとだんだんと眠たくなってきて、ちょっと惜しく思いながらも、ベッドに入る。
 目が覚めれば朝になっていて、また学校での平常の日々が戻ってくる。
 そうなるはずだったのに。
 そうなれば、良かったのに。
 ああ、神様はいじわるだ。
 これらは、全て昨日、12月23日の内に終わってしまったのだから。





 あいつ、岡崎朋也と別れてから、もう半年が過ぎた。

 高校卒業後の4月。
 あたしは専門学校に通い出した。小さな頃からの夢、保育士になるため。
 あいつはというと、知り合いを通して電気工の会社に勤め始めた。街を作って、そして護っていく仕事だと少し嬉しそうに話していたのを覚えている。
 就職と同時に、彼は一人暮らしを始めた。父親と上手くいっていないってことは高校の時から知っていたから、そのこと自体はそう驚くことでもなかった。
 ただ。
 その話の最後にあいつが放った言葉だけには、さすがのあたしも驚かされた。
 『いっしょに暮らしてくれないか』
 そういうことには疎そうな朋也の方からそんなことを言い出されたことにびっくりして、でもだからこそすごく嬉しくて。
 『大好き、朋也っ』
 あたしは、しばらく固まった後、彼に飛びつくように抱きついたのだった。
 幸せだった。
 胸を張って、朋也のことが好きだと言えた。大好きだって伝えられた。

 だけど。
 幸せは、長くは続かなかった。
 お互い初めてだらけの環境。溜まる疲労と、そしてストレス。同じ家に住んで初めて分かる、お互いのイヤなところ。
 次第に、喧嘩が多くなった。
 あたしが他の男と外を歩いていた、あいつが他の女と。帰りが遅い、電話に出ない、ごみ出し、掃除、……
 理由はホントに些細なことで、だからこそ尽きることはなくて。
 二ヶ月が経つ頃には、もう二人とも限界まで追い詰められていた。
 『……もう、止めましょ』
 『……ああ、そうだ、な』
 直接的な表現はあえて避けた。だけどそれは間違いなく決別の、精一杯の言葉だった。






 どこかの店が流しているのだろう、クリスマスを歌った曲が聞こえてくる。毎年この時期になるとよく聞く曲だ。クリスマス・イブというこの日に、きっと来ることのない人を待つという、そんな曲。
 多くの人の声と相まって、喧騒は一向におさまる気配を見せない。その中を当ても無く彷徨うあたしの心は、しかし、晴れそうにもない。
 たくさんの思い出。ゲームセンターに小物屋、宝石店に、喫茶店。どこを見ても、そこにはあいつとの過去があって。
 街を歩きながら、あたしは自分がだんだんと俯いていくのを感じていた。  いったい、藤林杏は、こんなところで何をしているのだろう。何をしたいのだろう。
 ふと我にかえると、いつの間にか駅前の広場に出ていたことに気づく。
 見慣れた光景。あいつと、いつも待ち合わせた場所。いつもの、ベンチ。
 まるでそうするのが当然だったように、あたしはそれに腰かけた。あの頃、いつもそうしてあいつを待っていた。
 正面には、大きなクリスマスツリー。ツリーとは言っても、それは本当にもみの木を使っているわけではなくて、公園の駅側にある一番大きな木にイルミネーションを彩ったものなのだけれど。
 でも、世の恋人たちにはそれだけでも十分なんだと思う。
 だって。
 ――去年のあたしが、あたしたちが、そうだったんだから。


 『ほら、見て。ね、綺麗だと思わない?』
 『いや、毎年見てるしな』
 『今年はいつもと違うでしょ?』
 『何がだよ』
 『こんなに可愛い恋人と一緒に見るのは、初めてでしょ?』
 『アホ、自分で可愛い言うな』
 『うわっ、ひどぉ……彼女のことをアホ呼ばわり? それに何よ、あんた、あたしが可愛くないとでも言いたいわけ?』
 『んなこと誰も言ってねぇだろうが』
 『じゃあ可愛い恋人で間違ってないじゃない。ほら、アホ呼ばわりしたこと、訂正して詫びなさい?』
 『杏、好きだぞ』
 『知ってるわよ。で、謝罪は?』
 『ああ、くそ、ムカつくなお前』
 『はいはい、言い訳はいいから、ほらほら、早く謝んなさいよ〜』


 去年の今日、ちょうど今の時間ぐらい。楽しかった、幸せだった、時間。
 それが自然と思い出されて、一人くすくすと笑った。

 ゲームセンターで、苦闘の末に小さな猪のぬいぐるみを取ってくれた。
 小物屋に行って、何を買うでもなくただ色々なものを眺めて回った。
 通りかかった宝石店の前では、仕事を始めて給料が出たら何か好きな物を買ってくれるって約束を。
 喫茶店に入って、暖かいけれどすごく薄いコーヒーで時間を潰してから、あの日、あたしたちはこの場所に来た。
 周りはやっぱり幸せそうな男女ばかりで。でも、そんなの気にならなかったし、気にする暇もなかった。
 横には朋也がいて、いつもみたいに軽口を言い合った。クリスマスだからって、何も変わることのないあたしたち。
 あの時、確かにあたしは幸せだった。

 笑っていたはずのあたし、どうしてだろう、涙が流れてきた。
 後から、後から。
 滴が、頬を伝っていった。

「泣かないように……してたんだけどなぁ」

 思い出さないようにしていた。だって、分かっていたから。
 思い出してしまえば、耐えられないって。
 あたしは、そんなに強い女じゃないって。
 彼を失った時に、分かっていた。妹に説教もさせてしまった。

「寒い……」

 自分の体をぎゅっと抱え込む。
 そうしないと、全てがどこかにいってしまいそうで。

「寒い……よ」

 ぎゅっと。ぎゅっ、と。
 寂しい歌が、聴こえる。幸せな声が、聞こえる。
 そんなものは、聞きたくなかった。あたしが、あたしが聞きたいのはそんなのじゃなくて……

「……や」

 どうして、忘れてしまっていたのか。
 ただ、そばにいたかったこと。それだけで、幸せだったこと。
 どうして、忘れてしまっていたのか。
 嫉妬されることが嬉しかったこと。怒られることが嬉しかったこと。
 どうして、どうして。
 あたしが髪を伸ばしている、その理由を。
 忘れていたとでも、いうのか。

「……もや」

   ――こんな俺でよければ、おまえに側にいてほしい
   ――いや…違うか…
   ――好きだ
   ――おまえの側にいたい

 思い出す。今もなお、鮮明に残る記憶。
 幸せだった。すごく、すごく。


   『……もう、止めましょ』
   『……ああ、そうだ、な』


 失って初めて気づくなんて、そんなことはないって思ってた。
 ずっとずっと幸せでいるんだって、忘れたりしないって、そう思ってた。
 なのに――



「……あたし、どうしようもないバカだ」


 ともやともやともやっ……

 もう一度、会いたい。
 もう一度、杏って呼んでほしい。
 もう一度、ぎゅって抱きしめてほしい。
 もう一度、愛してほしい。


 もう一度、もう一度――









 ――朋也っ










「雪、積もってんぞ?」








 耳を疑った。
 だってその声は。

「なんだ? やっぱり遅れたこと、怒ってんのか?」

 まさに待ち望んだ、あいつのものだったから。


「……とも……や?」

 顔を上げる。
 見えるのは、いつもの苦笑い。
 何故。
 どうして。
 ううん。そんなことよりも、もっともっと。

「ああ、俺だぞ」

 行かなきゃ。
 あいつが、朋也が、そこにいる。

「朋也っ!」
「うおっ」

 ベンチを立って、飛び込む。なりふりなんて、構っていられない。
 急がないと、今度こそどこかに行ってしまいそうな気がして。

「ごめんな、待たせて」
「……あ、う………っ…………」
「おいおい、泣くなよ。らしくねぇな、杏」

 いっぱいいっぱい、会いたかった。
 いっぱいいっぱい、名前を呼んでほしかった。
 いっぱいいっぱい、ぎゅって抱きしめてほしかった。
 いっぱいいっぱい、愛してほしかったっ。

「とも…やぁ……」
「あーこんなに冷えちまって。なんて、待たせた俺のせいか」

 ぎゅっと。ぎゅっ、と。
 離さないように。一度は手放してしまった幸せを、今度こそ。

「杏、ちょっと落ち着け。その……周りの視線があまり好ましくない」
「知らないわよ、バカぁ」
「バカって言い方はないだろ」
「あんたなんかバカで十分よ。このバカっ、アホっ、甲斐性なしっ」
「なぁ、お前そこまで言うか、普通?」
「うるさいうるさいっ、すごく寂しかったって言ってんでしょっ!」
「いや、それ初めて聞いたけど」
「うるさいって言ってんの、バカっ」
「……まぁ、いいけどな」

 それは、確かに朋也だった。
 皮肉屋で全然素直じゃなくて可愛げのない、でもあたしの大好きな朋也に間違いなかった。
 そう思えば思うほど、抱きしめれば抱きしめるほど、でも涙が止まらなくなって。

「何ていうか……その、髪、伸びたな」
「伸ば…した……もん、当たり前じゃ……い」
「……あー、少し雰囲気、変わったな」
「半年経った……よ、当然……しょ」
「あのな、その……」
「…なに……よ」
「……少し時間やるからさ、とりあえず全部泣いちまえ」
「……っ!」

 耐え切れずに、声をあげて泣いた。
 抵抗のかなわない温かさに包まれながら、あたしは、きっと生まれてきて一番、泣いた。






 どれぐらい経ったのだろうか。
 ずっと立っていたけど、体重は全て目の前の奴に任せていたからそんなに辛くはなかった。
 あたしの髪に降りてきた雪を次々と払う彼の手が、まるで頭を撫でてくれているようで心地良い。
 これ以上無いってぐらい泣いたあと、意識がはっきりしてからは、そんな彼の温かい優しさをずっと感じていた。
 黙ってもっとこうしていたい。そんな素直な感情を、あたしはどうにか理性で抑えこんだ。

「ん……、もうだいじょぶ」

 泣いていたから、少し声がおかしいみたいだった。

「ああ」

 言いながら、朋也はまだ髪を撫でるような手を止めない。
 もう少し、甘えていてもいいのかもしれない。

「あのね」
「どうした?」
「さっきあんたが来てくれた時、死んじゃうと思うくらい、嬉しかった」
「ああ。俺も、お前がちゃんといてくれて、どうにかなりそうなくらい、嬉しかった」

 自分でも驚くぐらいに素直な言葉が口から出てきて。
 多分それに負けないぐらい素直な朋也の気持ちが聞けて。
 でも、だからこそ恐かった。今、自分は都合のいい夢の中にいるんじゃないか、って。
 こうしてる間に目が覚めて、気がついたらやっぱり独りきりなんじゃないか、って。
 聞くのは恐かったけれど、でも、聞かないのはもっと恐かったから。

「ね、どうしてここに来たの? あたしたち、もう別れて半年も経つのに」

 どうしてあたしに会いに来てくれたのか。
 そして、どうしてあたしのいる場所が朋也に分かったのか。

「それは、何故来たのか、ってことか? それとも、何故ここに、ってことか?」
「ん、両方」
「前者は都合により割愛。んなの、言わなくても分かることだろ」
「いや、聞きたい」
「……お前、キャラ変わってるぞ」
「いーの。ほら、ごちゃごちゃ言わないで、さっさと聞かせなさい」
「その辺は変わらねぇのな」
「いいから早く聞かせて」

 『言わなくても分かること』朋也はそう言ったけど、はっきりと本人から聞くまでそれは推論に過ぎないから。
 推論なんかじゃない、はっきりとした確証が、ほしいから。

「あー、その……だから、一度別れようが半年経とうが何だろうが、やっぱりお前が好きらしいんだよっ、俺はっ」

 だから、予想通りの、期待通りの答えがすごく嬉しかった。

「ちくしょう、文句あるかっ」
「そんなのあるわけないじゃないの、バカね」
「あーくそっ、あんな恥ずかしいこともう二度と言わねーぞ、俺は」
「うん、今日のところはそれで許してあげるわ」

 付き合ってた頃、そのままの会話。
 多分あたしたちは、お互いに少し意識して、そうしていた。

「それで、どうしてあんた、この場所が分かったの?」
「……分からないのか?」
「分かるわけないじゃない」
「……はぁ、お前、本気で忘れてんのな。あー、俺バカみてぇ」
「何よ?」

 そっぽを向く朋也。

「あのな、約束、したろ?」
「約束?」
「ああ。もしもお互いを見失ったら、って」
「え?……あ、それ」

 言われて、思い出した。
 去年の今日、こいつと交わした約束。
 何のことない、小さな小さな、ある一つの約束。


   ――ね、手、絶対離さないでよ? こんな中はぐれたら、もうどうしようもないわ
   ――ああ、分かってるって。いくら何でもこんだけの中からお前一人を探す自信はねぇよ
   ――あんたそこは『例え離れ離れになったとしても絶対に君を見つけ出すから』とか言いなさいよ、やっぱり
   ――いや、無理だから。お前も『どうしようもない』って言ったじゃねぇか
   ――男の言い訳は見苦しいわよ?
   ――お前無茶苦茶な
   ――冗談よ。……そうね、もしも見失ったら――




「あは、そっか。うん、確かにここだった。いつも待ち合わせる、この場所にしようって」
「何だよ、忘れてたのかよ。もうホント俺バカみてぇ」
「たまたまあたしがいたから良かったけどさ。朋也、あんた実は結構ロマンチストね」
「あーっ、うるせぇうるせぇ」

 可笑しさと嬉しさで、くすくすと笑う。

「くそっ、笑うなアホっ」

 ああ、あたしの幸せは、今ここにあるんだ。
 一度は手放してしまった、忘れてしまった幸せは、ここにあるんだ。

「今度こそ、見失わないようにしなさいよ?」
「知るかっ」
「照れない照れない」
「もう嫌になるぐらい、お前、いつも通りだな」
「あんたも、ね」



 雪はまだ降り続けている。気温はまた少し下がったかもしれない。
 多分、もうすぐ日付が変わる、そんな時間。未だ行き交う多くの人々。
 抱きついている朋也の肩越しに、クリスマスツリーが見える。それはやっぱり、去年見たのとまるっきり同じだった。

「ね、朋也?」
「どうした?」
「あたしさ、バカだから、もしかしたらまた忘れちゃうかもしれない」
「そうなのか?」

 何を、とは聞かれなかった。それが、嬉しい。

「うん。だから、さ」
「ああ」
「その時は、また、こうして捕まえてくれる?」
「確約はできないけどな」
「……しなさいよ」

 少しだけ、間をおいて。

「なら、もう一度、今度こそちゃんと約束な」
「約束?」
「ああ、約束。もしも見失ったら、その時は、ここで待ち合わせ」
「あは、やっぱりあんた、ロマンチスト」
「うるせっ、いいか、ちゃんと約束したからな? 今度は覚えてろよ?」
「うん。絶対覚えてる」
「そうすりゃ、何度でも捕まえてやる」


 誰かの幸せな声は、もう聞こえなかった。
 寂しい歌も、もう聴こえなかった。
 聞こえたのは、ただあたしの聞きたいその声だけ。目の前の、幸せだけだった。
 たまらなくなって、あたしは、朋也を、目の前の幸せを抱きしめた。
 離さないように、離れないように。

 ぎゅっと、ぎゅっ、と――










 第三期第二回クラナドSS祭り お題『幸福』 出展。
 元々は二期の『もう一度』の時に出そうと考えていたもの。いつも通り間に合わなかったためにお蔵入り。今回それを発掘しました。
 結論。やっぱり甘いのは書き慣れません。
 感想会にて、甘いのはもっとさらっと仕上げるとよいとの御意見を頂きました。なるほどなるほど。
 祭りに出したものと違う箇所が一つ。やっぱりここではこれだろう、と。祭りでこれをやると前回のある作品と被ってしまうので、敢えて変えていました。
 恐れ多くも4人の方に投票していただきました。わーい。


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