「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
 この頃になってやっと少しは慣れてきた夕食作り。まだまだレシピは少ないし、正直味にもあまり自信は無い。
 けれど、それでも汐は残さずに全部食べてくれる。それだけで俺には十分。もっと修行を積んで、おいしいご飯を汐に食べさせてやりたいと思う。



 渚が逝って四年の月日が流れた。
 誰よりも強かった渚を愛する俺は、それなのに、誰よりも弱くて。おっさんや早苗さんは言うまでもなく、多くの人に長い間迷惑をかけ続けた。
 少しずつ恩返ししていかなければならない。心からそう思う。
 そして何よりも。
 汐、俺と渚の子どもとの、放棄してしまった時間。俺はそれを取り戻していきたい。



 食事を終え、使った食器を台所に持っていく。古河家で学んだことなのだろう、いつもの通り、汐もそれを手伝ってくれた。
 水を張ったおけの中に食器をつけ、そこから一枚一枚取り出して泡立てたスポンジで丁寧にこすっていく。一人の時には全て適当に行っていた作業。だが、汐がいる今はそれにも気が入る。何より、何が楽しいのか、隣で俺の所作に見入る汐を間近にして手抜きなどできるはずもない。
 全ての食器をこすり終わったら、今度はそれらについた泡を水と手でしっかりと洗い流していく。
 水洗いを終えて綺麗になった皿は、隣で布巾片手に今か今かと皿が来るのを待ちわびる汐へと手渡される。食器乾燥機などあるはずもない我が家において、布巾で皿についた水気を拭い取るのは汐の仕事なのだ。横から聞こえるキュッキュッという音が心地良い。
 年齢にそぐわないほどしっかりとした汐の「お手伝い」には、親としては少し情けない話だが、随分と助けられている。それに二人でこういった作業をやれることが、俺には楽しくて、そして嬉しくて仕方が無い。
 並んで食器を洗いながら、汐は今日幼稚園であったことを楽しそうに話してくれた。風呂や夕食の間だけでは、全てを話してしまうのに足りないようだ。
 全ての食器を棚に片付けてから、いつもそうするように汐の頭をゆっくりと何度も撫でてやる。
「いつもありがとうな、汐」
「えへへ」
 汐はされるがまま、嬉しそうに笑う。
「しお、いいこ?」
「おう。汐はとってもいい子だ。よしよし」
「えへへ。しお、いいこ」
「そうだ。いい子いい子」
 こんなことを考えるのは親バカなのかもしれない。でも、俺は思う。この子は、俺たちの子どもは、本当にいい子に育ってくれている。
 やはり、おっさんと早苗さんの力によるところが大きいのだろう。二人には、どれだけ感謝を重ねても足りることはない。

「あっ」
 恒例の二人での食器洗いを終えてテーブルの横に座ろうとした時、汐が突然少し大きめの声を出した。
「ん? どうかしたか?」
「しゅくだいあるの、わすれてた」
「宿題?」
 汐の口からは聞き慣れない単語だった。
「うん。えをね、かくの」
 宿題の中身。聞いてみれば、なるほど、確かにありそうな内容だった。
 詳しく覚えているはずもないが、俺も幼い頃にはたくさん絵を描かされたような気がする。
「絵? 明日までにか?」
「うん。いまから、かいていい?」
 そう聞いてくる汐。まだ子どもであるにも関わらず、俺へ配慮しているつもりなのだろう。
「おう、もちろんいいけど、何の絵を描くんだ?」
「おうちのみんな」
「……そっか。がんばれな」
 家族。少しだけ胸が痛む。
 普通の家庭には当たり前のように母親がいて、そして、汐にはそのいるはずの母親がいない。
「うん。がんばる」
 言って、汐は幼稚園のバッグをあさり出す。その様子からするに、中は整理などされていないのだろう。年が年なだけにそれが当たり前だとは思うが、そのことにどこか安心する俺がいる。あまりにも完璧過ぎるのも逆に不安だから。
 しばらくもぞもぞと捜索を続けた結果、バッグからは無事丸められた紙とクレヨンが出てきた。
 汐が紙を広げてテーブルの上に置く。そこには既にある程度のものが描かれていた。幼稚園で終わらなかった分を家でやって来る類のようだ。
 黒のクレヨンを握り、無言で紙に線を引いていく。集中しているのが分かる。そんな汐に、自然と俺の頬も緩む。
 邪魔をしないよう、俺は芳野さんが貸してくれた本を読んでいることにした。仕事、電気技術関連の本で、これからの俺に必要となってくることが書かれているらしい。活字を読むのは正直あまり得意ではないが、そういうことならしっかりと読んでおきたい。
 一心不乱に目の前の絵と格闘する汐の様子をたまにちらちらと見ながら、俺は本を読み進めていった。


 20分程経った頃か。それまで動き続けていた汐の手が止まるのが分かった。
「う〜ん」
 悩むような声。何か手違いでもあったのだろうか。
 今どんな絵を描いているのか見たくなる。
「パパ、見てもいいか?」
「うん。みてみて」
 汐の許可を得て、俺は汐の差し出してきた絵に目をやった。
 その中には幾人かの人の姿。真ん中のやけに小さなのは、もしかすると。
「これ、汐か?」
「うん。しお、ちっちゃいの」
 当たっていたようだ。
 これが汐だということは、後はだいたい決まってくる。汐と比べて大きく描かれたのは全て大人だろうし、彼女のよく知る大人なんて数は限られている。
「これは、おっさんか」
「うん、あっきー。さなえパン持ってるの」
 汐の右隣にいる長い棒状の物を持った人。俺は棒状のそれをバットだと解釈しておっさんだと判断したが、まさか早苗パンだったとは思いもよらなかった。が、確かに納得のいく絵だとも思った。
「てことは、これは早苗さんだな」
 おっさんの更に隣でにこにこと笑っている人。他と比べて髪が長いため、恐らく女性。おっさんの隣にいることから考えると、答えは一つだった。
「うん、さなえさん」
「やっぱりそうか」
「で、これが俺だな」
「そう、パパ」
 紙の中心に描かれた汐、その左隣を指して俺は聞く。そこには、一際大きく描かれた人の姿があった。
 実際には、俺よりもおっさんの方が身長は少しだけ高い。
 だから、もし。
 その絵の中での大きさが、今の汐の心中を占める大きさなのだとしたら。
 なぁ、汐、パパさ、ちょっとぐらい喜んでもいいだろう?
「汐、がんばったな。ありがとう、よく描けてるぞ」
 汐の方を向いてからそう言う。そうしてから、俺はもう一度、手元の絵に意識をやった。



「ねえ、パパ」
「うん? どうかしたか?」
 絵を見ながら少し感慨じみたものを覚えていた俺に、汐が声をかけてくる。
 そして。
 言った。

「ママのおかお、しお、おぼえてないの」

 思考が止まる。
 頭が冷えていく。
 俺は目を見開いたまま、瞬きを忘れたように。
 突然の汐の言葉。
 そのショックは思いのほか大きかった。
 汐が渚の顔を覚えていないという、ただその事実が。考えてみれば当たり前のその事実が。
 あまりにも、辛くて。

「だからね、ママのしゃしん、ちょうだい?」
「写真?」
 続く汐の話に、だが、冷静さを欠く俺はその意図を掴むことができない。
 そんな俺に気づくはずもなく、汐が口を開く。
 いっぱいの、笑顔で。

「うん。みながらママをかくの。そしたらママもパパも、さみしくないよ」

「……っ」
 言葉が出なかった。
「……パパ、おなかいたいの?」
「……え?」
「なかないで、パパ」
 ――泣いて、いる?
 頬に手を当てる。ひんやりとした感触。確かに、そこには涙があった。自分でも気づかぬ内に流れ出る涙があった。
 不意に、汐が立ち上る。
 そしてその小さな小さな手を俺の頭に置いて。
「よしよし。よしよし」
 何度も、何度も。
 ゆっくりと、撫でてくれた。
「いたいのいたいの、とんでけーっ」
 何度も、何度も。
「ごめんな、汐、泣き虫なパパで、ごめんな」
「よしよし。よしよし」
 ゆっくり、ゆっくりと。

 ――ああ、渚、ありがとう。
 この子を産んでくれて、ありがとう。

 俺も、がんばるから。今までダメなパパだった分も、がんばるから。
 だから、渚。

 ――ありがとう。






「パパただいまーっ」
 月日が流れるのは、自分の思うよりずいぶんと早い。
 汐は、今年でもう高校生だし、俺の料理も随分と様になった。
 最近では汐の方が作ってくれることも多くなった。嬉しさとちょっとの寂しさを感じる。
 なぁ、渚、たまに思うんだ。もう俺は必要ないのかもしれない、なんて馬鹿なこと。
 でもな。
「パパ、餃子つくろーっ」
 そんな時は、あの絵を見る。
 おっさんと、早苗さんと、俺と、汐と、そしてお前と。
 お前の写真の横。そこに飾ってある、あの絵を見るんだ。
「今日こそ負けねーぞっ」
「あはは、無駄無駄ーっ。あたしの手さばきに敵うわけないじゃーん」
「絶対負けねーっ」
 その度に、思う。
 必要ないだなんて、そんなこと考えちゃいけない。汐に寂しい思いさせちゃ、いけない。
 あの日の汐に、負けないように。
 あの日の汐が、そうしてくれたように。
 汐を支えていくのは、俺なんだって。
 汐が泣きたい時に泣けるよう、そばにいるんだって。
 いつか汐がここを巣立つ日まで、それが俺の役目なんだって。
 がんばろう、って。
「いただきます」
「いただきまーすっ」
 なぁ、渚。
 そんなことを、思うんだよ。










 第三期第四回クラナドSS祭り お題『宿題』 出展。
 汐に「よしよし」させたかったのです。
 それだけで書き始めた上に、いつものように怠慢によって締め切りが迫っていたため、焦って話の展開が結構急になってしまった感が。反省すべき点。
 どうやら「よしよし」がみなさんのツボにはまったらしく、なんとなんと畏れ多いことにMVPを頂いてしまいました。わはー。
 渚逝去の場合、多分、朋也は直幸と同じ道を歩みそうになると思います。汐のためにがんばってがんばって。汐の成長が朋也の生きる意味になって。でも、だからこそ、汐が大きくなるにつれて自分の存在意義を見失っていく。
 そうならないためには何かが必要で、今回はその何かにあたる部分を書いてみたつもりです。
 なんて真面目ぶったことを書いてはみましたが、結局のところ、汐は可愛いんだとそんな結論で。いぇー。


back





[PR]lvZ@ff:EllI