まだ小さかった頃。身体の強くない私は、よく熱を出して小学校をお休みしました。
 そんな日、居間に敷かれた布団の中で私は一日を過ごします。
 学校に行けないのはすごく寂しいことです。でも、普段から優しいお父さんとお母さんがいつもよりもっともっと優しくしてくれるから、私はちっとも辛くありませんでした。
「渚、寒くない?」
「はい。だいじょうぶです」
 私の横にはずっとお母さんがいてくれました。
 本を読むことも、テレビを見ることもしないで。唯一、私が退屈しないように話相手をしてくれます。
 それはとても嬉しいことでしたが、子ども心ながら申し訳ないという気持ちもありました。
「お母さん、たいくつじゃないですか?」
「ん、どうして?」
「お母さん、ずっと私につきそって、なにもしてません」
「そう、私に気を使ってくれてるのね。ありがとう、渚は優しい子ですね」
 ぽん、ぽん。
 私のお腹の辺りで優しくリズムを取りながら、お母さんが続けます。
「……でもね、渚」
 ぽん、ぽん。
 心地良い振動に、私の意識は少しずつぼんやり、ぼんやりと。
「お母さんは、渚のそばにいるだけで退屈なんてしないのよ」
「どうして……ですか?」
「そうね、渚もお母さんになったらきっと分かるわよ」
 にっこりと笑ったお母さんの笑顔が、とても印象的だったのを覚えています。





  ◇






 いつの間にか眠っていたようです。横を見てもお母さんの姿はありません。
 私が眠っている間もずっと付き添わせるということにはならなかったみたいで、そのことに少しだけほっとします。
 でも、やっぱり少なからず寂しいとも思ってしまう私。ちょっとわがままな子だったのかもしれません。
 上半身を起こして、うーん、と軽くのび。一眠りすると、それだけで大分調子が良くなったような気がします。
 壁にかかった時計に目をやると、長い針と短い針が真上を向いて仲良く寄り添っていました。素敵な偶然。何となく、嬉しくなります。

「ん、起きてたのね」
 居間の入り口から、お母さんの声。
「ちょうど目が覚めたところです」
「ご飯、食べられそう?」
「はい。ちょっとお腹空きました」
「じゃあ持ってくるから、ちょっと待っててね」
 私が寝ている間に、お母さんはお昼ご飯を作ってくれていたようです。すぐに、お盆を持って戻ってきました。
 お盆の上には、小さめのお鍋と取り皿に、お茶が入った容器、それと可愛いだんご柄のコップ。お鍋の中ではもちろん、お母さんの作ってくれたおかゆがふわふわと優しい湯気を浮かべています。
「熱がある時にはね、ねぎのおかゆがいいのよ」
 言いながら、お母さんがコップにお茶をついでくれました。朝から何も飲んでいなかったので、私は一息でそれを飲み干してしまいました。
 空になったコップに今度は自分でお茶を注ぎます。その間に、お母さんは取り皿におかゆを移してくれていました。
「あ、お母さん、ありがとうございます」
 取り皿を受け取ろうと手を伸ばします。
 でも、お母さんはそれを私に渡そうとはせずに。
「はい、渚、あーん」
 スプーンにのったおかゆが、私の口元に迫ってきました。
「じ、自分で食べられますっ」
 お母さんから食べさせてもらうなんて、何だかすごく子どもっぽくて。
 スプーンから逃げるように顔を逸らしても、でも、お母さんの手はしっかりとついてきます。
「ほら、渚、あーんして。それともお母さんからこうされるの、嫌?」
「そ、そういうわけじゃ……」
 悲しそうに目を伏せるお母さん。
 そんなのを見せられて、嫌だなんて言えるはずもありません。卑怯ですっ。
「じゃあほら、あーん」
「あ、あーん」
 口を開けると、ゆっくりとお母さんの持ったスプーンが近づいてきます。
 ぱく。もぐもぐ。
「おいしい?」
「はい」
 食べさせてもらうのはやっぱりちょっと恥ずかしいけれど。
 ぱく。もぐもぐ。
「すごく、おいしいです」
 お母さんの作る料理はどれもおいしくて。でも、その中でも特にこのおかゆは印象に残っています。
「そう。ふふ、良かった」
 言うお母さんは、とても嬉しそうで。そんな顔を見て、私も嬉しくなります。
「お母さん、嬉しそうです。何かあったんですか?」
「ふふ、渚もお母さんになったら分かるわ」
 やっぱり、すごく嬉しそうでした。





  ◇






 お昼の間にたくさん寝ていたからでしょう。夜中になってふと目が覚めてしまいました。手を伸ばして、布団の横に置いてある時計を確認します。
 ――2時。
 せっかく風邪を治したんだから、元気に学校へ行くためにも今はしっかり寝ておかないと。そんなことを考えれば考えるほど、でも逆に目は冴えてしまいます。もう何度寝返りをうったのか分からないぐらいです。
 ちょっと飲み物でも飲んでこよう。思い立って、私は布団を抜け出しました。

 こっそりと、お父さんとお母さんを起こさないように、抜き足差し足、キッチンに向かいます。暗くておまけに何の音もしなくて、正直ちょっと怖かったです。
 いつもの倍くらいの時間をかけてようやくキッチンに着いた私。冷蔵庫の扉に手をかけようと――。
――パチン。
 瞬間、部屋が光に包まれます。突然のできごとに、私はきゃっと小さく悲鳴をあげてしまいました。
「渚?」
 声のした方を振り向きます。その先、キッチンの入り口には、壁のスイッチに手をかけたお母さんの姿がありました。
「お、お母さん」
「あ、ごめんなさいね、渚。驚かそうとしたわけじゃないのよ」
「いえ、私こそお母さんを起こしてしまったみたいで……」
「そんなこと気にしないでいいの。でも、ありがとうね」
 ふふ、と笑います。何か嬉しいことがあったのでしょうか。
「喉が渇いたの?」
「はい。……それと」
「それと?」
「ちょっと、眠れなくて」
「そう。じゃあ、ちょっと待ってて。お母さん、すぐにいいもの作っちゃうから」
「そ、そんな、わざわざ悪いです」
「いいのよ。愛する娘のためですもの」
 私の返事を抑えるように、座ってて、とお母さんが椅子を引きました。
 言われるままに腰を下ろして、コンロの前に立つお母さんの後ろ姿を眺めます。
「寒くない?」
「はい。大丈夫です」
「これはね、沸騰するギリギリまで温めるのがおいしく作るコツなの」
「ギリギリですか。難しいです」
 火を扱いながらも、お母さんは私に話しかけてくれました。
 きっと、待っている間に、私が退屈しないように。
 子どもながらにもそれが分かって、やっぱり私は少しだけ申し訳なくて、でもそれ以上にもっともっと嬉しくて。
「お母さん」
「うん?」
 お母さんがこっちを振り向きます。
 しっかりと、私はその顔を見ながら、頭を下げて。
「ありがとうございます」
 一瞬、きょとんとした表情。
「どうしたの?」
「私のために、わざわざこんな夜中に起きてくれて、お料理してくれて、それに今こうして話相手をしてくれてます」
 本当に、感謝しています。今日はお母さんのお世話になりっぱなしです。
「渚のためならこれぐらい何でもないのよ」
「ありがとうございます。あ、でもお母さん」
「なに?」
 さっきの自分の言葉、その中で一つ疑問が浮かんでいました。
「お母さん、私が起きたの分かったんですか?」
「ええ、もちろん」
「どうしてですか? 私、音を立てないようにしました」
 お父さんとお母さんを起こさないように、そこには十分注意していました。だから、音で気づいたということはないと思います。
「うーん、そうね、多分渚もお母さんになったら分かるわ」
「これも、お母さんになったら分かることなんですか?」
 お母さんは、にっこりと笑って。
「ええ、そういうものよ」
 やっぱりお母さんって凄いんだ。お母さんの笑顔を見ながら、私はそんなことを思っていました。





  ◇






「すごくおいしいです」
 お母さんから手渡されたマグカップ。中身は、甘くておいしくて、優しい優しいホットミルク。
 机の向かい側、お母さんも私と同じように自分の分のカップを持って座っています。
「飲んでると、落ち着くでしょう?」
「はい」
 良かった、と満足そうに微笑むお母さん。今日はこんなお母さんの顔をたくさん見た気がします。
 おいしいです、もう一度呟くように言う私を見てから、お母さんは目を瞑りました。
 考え事でしょうか。もしかすると、何かを思い出していたのかもしれません。
「このホットミルクはね、魔法のホットミルクなのよ」
 しばらくの後、お母さんはゆっくりと目を開けて、私に微笑みかけます。
「魔法、ですか?」
「そう。ぐっすり、よく眠れる魔法」
 一口、自分の分のミルクを飲んでから続けました。
「渚ぐらいの時にね、よくわたしもお母さんに作ってもらったわ」 
「お母さんのお母さんですか?」
「そうよ。だから、渚から言えばおばあちゃんね」
 小さい頃のお母さんもこのミルクを飲んで眠りについた。考えると、何だか不思議な感じがしました。
「今度、渚にも作り方を教えてあげるわ」
「はい。お願いします」
 今手元にあるホットミルク。飲んでいると、お母さんの言うように少しずつ落ち着いて、眠たくなってきました。
 これがあれば、眠れない時に困ることもありません。逆に、そんな夜が楽しみになってしまうかもしれません。
「でもね、渚。この魔法には、一つだけ制限があるの」
「制限、ですか?」
「このホットミルクは、自分のために作ることができないのよ」
「ええっ! ど、どうしてですかっ」
 それでは、自分で作ることができません。わざわざお母さんに起きてもらわないといけなくなります。
「魔法をかけるのに絶対必要なものが、自分一人では準備できないの」
「そうなんですか?」
「ええ」
「必要なものって、何でしょう?」
「秘密。渚がね、お母さんになったら、きっと分かるわ」
 ふふ、と笑います。
「お母さん、今日はそればっかりですっ」
 何だかはぐらかされたみたいで、ちょっとだけ不満。ぷーっと頬を膨らませてみます。
 もちろん、本当に怒っているわけではありません。ちょっとだけお母さんを困らせたかっただけですから。
「ほら、そんな顔しないで」
 それをお母さんも分かっていたのでしょう。軽く笑みを浮かべたまま、言います。困らせるのは失敗みたいです。
「ねえ、渚?」
「はい」
 机を挟んで、お母さんと私。
「渚がいつかお母さんになって」
「はい」
「今度は渚が魔法のホットミルクを作ってあげるの」
「はい。もちろんそうします」
「それでね」
「はい」
 すごく優しい表情でした。今でも、覚えています。
「もっと時間が経って、その子が親になって、子どもにホットミルクを作ってあげて」
「はい」
「そうやって、ずっとずっと繋がっていけたら、それはすごく素敵なことだと思わない?」
「はいっ」
 たくさんたくさん、繋がって。
 きっと。だんごに負けない、大家族です。





  ◇  ◇  ◇







 ふと、目が覚めました。
 いつか、お母さんの言葉を思い出します。
『お母さんになったら分かる』
 あの頃は、その言葉の意味すらもよく分かっていませんでした。
 でも。
 朋也くんと出会って、好きになって。
 一緒に暮らすようになって、結婚して。
 そして、しおちゃんが生まれて。
「何となく分かったような気がします、お母さん」



 今日、しおちゃんは学校をお休みしました。私に似たのか、あまり身体は強くないようです。そこまで高い熱ではなかったのがせめてもの救いです。
 朝、会社を休むという朋也くんを説得するのに一苦労。今日は一日、家の中でしおちゃんと二人きりでした。
 午前中はずっと布団の横にいて、お昼にはねぎのおかゆを作りました。
 午後になっても私のやることは変わりません。しおちゃんの顔を眺めたり、起きている間にはお話をしたり。しおちゃんの横で、私もちょっとだけお昼寝をしてみたり。

 もちろん、しおちゃんのことは心配です。とても、とても心配です。
 でも、心配とも少し違う気持ち。それがあるのも、また、事実でした。
 お母さんもこんな気分だったのでしょうか。20年を経て、今そんなことを思います。



 身体を起こして、キッチンの方に目をやります。思った通り、冷蔵庫の明かりが漏れていました。
 一度目を瞑って、あの時飲んだ優しいホットミルクを思います。お母さんの言葉を、思います。
 今ならきっと私にも魔法が使える。それは確信。
 だから、そう。
 朋也くんを起こしてしまわないよう、私はこっそり布団を抜け出して。

 優しい魔法と素敵な素敵な大家族。
 たくさんたくさん、繋がりますように。
 いつまでも。
 いつまでも。










 第三期第六回クラナドSS祭り お題『睡眠』 出展。
 短編ではまだまともに渚を扱ってなかったので書いてみました。
 ゲームでは互いに敬語を使う渚と早苗ですが、それで書いてみるとあまりにも親子に見えなかったのでちょっとくだけた感じに。
 結果、ちょっと、いや、結構な違和感を生んでしまったようですが、5名の方に投票を頂きました。わーい。
 優しさに泣きたくなるぐらい優しい話を書くのが目標です。


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